ホ−ム>>イチ押しの人・話題>>熊沢蕃山 熊沢蕃山(1619〜1691) 更新日 2004/5/16



紹介/驚き/足跡/

 まずは、紹介から始めます。


 「イチ押し」で唯一人、もう死んでいる人です。しかも、300年以上も前に。
こんなすごい、そして魅力的な日本人がいたとは本当に驚きです。2003年の10月から調べていますが、あまり知られていない人なので、いろんな面を紹介していきます。

 「そんな名前の思想家がいたなぁ」という知識しかなかったのを変えたきっかけは、室田武の「雑木林の経済学」を読んだことです。環境問題で先駆的に発言してきた著者が1984年に発表した「現代エコロジーの先駆者・熊沢蕃山」が第1章に収められているのです。
江戸時代の初期から、山林の保全の必要性を説き、実践したことを知り、その着想と実行力にビックリしました。そして、彼の生涯に興味を持ち、調べてみると、出てるわ、出てくるわ。「現代エコロジーの先駆者」にとどまらない、スーパーマンのような多面的な能力、才能の持ち主だったのです。

 そして、このような人をなぜこれまで知らなかったのか、という疑問が次に沸いてきました。「蕃山堤」「蕃山大明神」として庶民に慕われてきて、歌舞伎や小説の主人公にさえなっているのに、なぜ「日本思想史」といった世界では陽明学者の一人程度の扱いになってきたのか?




蕃山=江戸時代の儒教思想家という常識からいかにはずれ、多面的な人間だったか
リストアップしてみます。


蕃山の驚き
項目内容
岡山藩の行政を担当した実践家だった。  蕃山は京都で浪人の子として生まれ、16歳で岡山の池田光政の児小姓として仕え、一旦辞めるも、27歳から再び仕える。藩主の光政の側近として『30歳をすぎたばかりで、すでに天下の名士だった」(熊沢蕃山 宮崎道生)。
 浪人の子が30過ぎで大藩の老中役として、藩の行政をつかさどるようになるといった実力主義がこんな江戸時代の初期からあったとは驚きである。
 最近の『たそがれ清兵衛』でも描かれていた、現在のサラリーマン社会と変わらない藩世界の妬みを買って、40歳にならないうちに蕃山が引退してしまうのもうなづける。
 蕃山は治山治水事業に優れた「経世家」として知られるが、日本の陽明学の始祖といわれる中江藤樹の弟子として迎えられていた。
 儒教=朱子学=御用学者というイメージからかけはなれた、「実践の人」であったことが最大の特徴だ。
69歳で幕命により禁固に処せられ、73歳で禁固のまま死す。  39歳の若さで引退しながらも、著作を出し続け、幕府の中枢部に強い影響力を保ち続けた。ようやく確立しようとする幕藩体制を根底的に批判する(参勤交代批判・武士帰農論など)ので、幕府は70歳になろうとする老人を禁固に処す。
山林の保護を訴え、実践し、南方熊楠、田中正造に直接つながるエコロジー思想家だった。  すでに紹介したように、室田武が早くから取り上げていた。82年の「水土の経済学」の第七章「熊沢蕃山の林政思想・・・現代エコロジーの先駆」が最初だったのだろうか。
その後、繰り返し触れているので、彼の本にあたっていただきたい。
 驚くべきことは、39歳で隠居した、江戸初期の蕃山の功績を人々は忘れず、語り継いできたことである。
 明治15年に、最初の民間団体、日本山林会が結成され、初めての山林共進会が開催されたときに、造林功労者として第一回の特別一等賞を受けたのが蕃山だった(森林を蘇らせた日本人 牧野和春 NHKブックス)。
源氏物語を愛読し、笛、琵琶、筝の名人だった。
 蕃山は源氏物語を愛読し「源氏外伝」という研究書を書いた。源氏物語などは好色淫乱の本だという儒教の常識からは考えられないことだ。
 さらに、京都で公家と付き合い、雅楽を楽しんだばかりでなく、門人の教育にも音楽を使ったとなると、もうダヴィンチなどのルネッサンス時代のスーパーマン並みではないか!


上にあげた以外に、
*全国の藩校の先駆け、岡山の花畠教場の設立に係り、庶民を教育する閑谷学校も作った
*和歌をたしなみ、多くの歌を残した。

江戸時代の儒教の事はあまり知らないが、蕃山が桁外れの多才な人物だったのはわかる。朱子学を築いた林羅山が蕃山の思想はキリスト教だと攻撃したのも、勝海舟が蕃山を「儒服をつけた英雄だ』と評したというのもうなづける。

 漢文ではなく、仮名文で書いたから、彼の本は広く読まれ、幕末まで影響を与え続けた。江戸時代の儒家の人気番付では、蕃山が東の大関(最高位)だった。



蕃山の足跡

全国に生き続ける蕃山の足跡をネット上で探してみました。
項目内容
熊沢蕃山宅跡(島岡さんの「岡山アウトドア読本」) 備前市の蕃山宅と周辺を紹介するペ−ジで、岡山での足跡を追っています。
「蕃山」は「しげやま」で、岡山藩を引退してから、彼が住んだ村の名です。それも、このページで紹介してあるとおり、「山がしげる」意味を込め、自分の名字としてしまったのです。
今でも、備前市蕃山として残っています。
蕃山堤 茨城県総和町に残る蕃山堤です。彼が行った土木工事は岡山、茨城、九州の豊後、岡藩と各地に残っています。
岡山節  蕃山が行った堤築造の工事などで、もっとも興味深いのは、通常よりも2倍、3倍の人手を確保して、仕事を行ったという点です。だから、仕事が丁寧で、長く残り、明治になってきた外国人技師が驚いたという話が残っています。
工事するときに歌う歌まで蕃山が作った、その歌が残っているという貴重なペ−ジです。
記念館(蕃山文庫) 滋賀県志賀町に記念館がある。蕃山の娘の嫁ぎ先で、訪ねたことがあるのが縁らしい。
03年に台風で倒壊したとの情報もある。 
墓 (菊岡 倶也さん 「建設業界」のhp)
墓 (茨城県総和町)
 謹慎蟄居のまま亡くなったが、古川藩主は手厚く葬った。茨城県猿島郡総和町大堤の鮭延寺に墓が残る。

もう少し広く、彼の情報を探ってみると、
正楽寺と『熊澤蕃山』(中国観音霊場会のページ) 備前市蕃山にある正楽寺と蕃山の関係。「顕彰保存会が発足し、毎年命日に当寺において蕃山先生を偲ぶ会を催し、記念講演など各種行事を行っている」とある。
熊沢蕃山資料にある肖像画 蕃山の肖像画は少ないらしく、これはよく使われている絵。誠心堂書店WEB目録から。
「 蕃山先生吉野に隠る」 島田墨仙  これは、笛を吹く蕃山の珍しい絵。東京にある山種美術館のサイトから。
岡山県 森を作った人守った人  蕃山の鳥を使った植林法の紹介。「きこりのホームページ」から。
アレロパシーについて  蕃山がアレロパシー現象(植物が放出する化学物質が他の生物に、阻害的あるいは促進的 (共栄的)な作用を及ぼす作用のこと)を示唆していたと紹介している。アレロパシー世界会議のサイトから。
熊沢蕃山の幼少の話 中江藤樹との出会いを伝える有名な話。伏島さんの「子供たちに話してあげたい話し」から。
「手品師と蕃山」 薄田泣菫(青空文庫) 小さな作品だが、「手品師と蕃山」とタイトルが付いてしまうところに、気が惹かれる。

熊沢蕃山についての
タイトル著者出版社内容おすすめ度
反近代の精神 熊沢蕃山 大橋健二 勉誠出版 02/6 今手に入る、最も詳しい蕃山についての本。
「江戸期の<近代人>による<近代>批判」という視点で、蕃山の多面性とその影響の広さを論じきった本。

高い本なので、買い控えていましたが、読まないわけには行かない本です。
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熊沢蕃山 日本思想体系 岩波書店 71/7 古い本ですが、蕃山の原典を手軽に読むには、これしかないようです。
江戸の儒教学者で漢文で書かなかった人は珍しいそうです。「大学或問」は読みたいと思っていますが、まだ読みきっていません。
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熊沢蕃山 宮崎通生 新人物往来社 95/5 大正生れの蕃山研究家による紹介書。
多面的な蕃山のまとまった案内としてお勧めです。
本屋には見当たらなかったので、ネットで古本で手に入れました。古本を探し、入手するのが容易なのに驚きました。
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更新日 2004/5/16