*** アンコール・ワットが遺すもの(その2) ***



 
撮影  沖見 供顔


アンコール・ワットの近辺で代表的な遺跡3か所に行ってみた。
どれも人気遺跡なので今更の感がするが、もう少しお付き合い願いたい。

 



              
 +++ アンコール・トム +++

    ここは、大きな都市という意味の城郭都市であり、3km四方の城壁の中は
   小型バスで移動して見学するほど広い。 ジャヤヴァルマン7世(1181-1201年)が
   12世紀末から13世紀初めにかけて造営した王都であり、寺院そのものではない。
   中には中心寺院バイヨン、王宮、諸寺院、祠堂などがある。
   宗教はこれまでのヒンズー教から仏教に変化しているが、建造物は、
   仏教でありながらヒンドゥー教の趣も残している。





                              南 大 門

     ここの城壁の回りには5つの門があり、それぞれに意味がある。
     南大門は、一般の人達が出入りした門である。 全ての塔は四面観世音菩薩が彫られている。
    四面観世音菩薩はクメール仏教を代表する像で、内部でも至る所で見ることができる。
    現在、大型バスは通行禁止になっているため、中では小型バスに乗って移動する。




第一回廊南面
今にも崩れ落ちそうな第一回廊。




                       回廊レリーフ
     ここのレリーフは庶民生活や戦いを描いたものが多く、リアルで
     ほほえましいものがある。 クメール人、中国人、チャンバ人(ベトナム)が
     特徴的に描かれている。




第二回廊と中央祠堂
石の塊となったバイヨン中央祠堂。 中には小部屋がたくさんある。













第一回廊北面
一周している時間がなく、南から北に抜けた。




                            像のテラス
  ここに象に乗った軍隊が集合し、王の謁見を受けてから戦に出発した。
  左の壁に像のレリーフが一面に刻まれている。 雨期にはここに水が溜まり、像のレリーフが写し出される。





                +++ タ・プロム +++

   この寺院は、カジュマルの木が寺院にからみついた写真でおなじみである。
  12世紀に同じくジャヤヴァルマン7世が母の菩提を弔うために建てたというひとつの都市のような
  仏教寺院遺跡である。 周囲はラテライトの壁で囲まれているが、損傷が甚だしく、現在インドが
  修復中である。 なぜインドなのかは、この寺院建築に用いられた技術を今も尚伝承しているのが
  その理由である。




撮影ポイント1




撮影ポイント2




                      撮影ポイント3 


  この遺跡の保存方法については活発な議論が継続中である。
  つまり、カジュマルの木を取り除くかどうかであるが、現在は取り除くと遺跡が崩壊するため、
  また、観光価値もあるので、カジュマルの木に浸食されつつもそのままにした方がよいという
  方向になっている。




                
+++ バンテアイ・スレイ +++

    1914年になってやっと発見された遺跡である。
   967年ラージェンドラヴァルマン2世が建設を始め、ジャヤヴァルマン5世の時代に完成した。
   バンテアイ・スレイは「女の砦」を意味するヒンドゥー教寺院である。
   これまでの遺跡の中では、一番古く、規模こそ小さいが、精巧で深く彫られた美しい彫刻が
   施されている。 有名な「東洋のモナリザ」といわれるデヴァターの彫刻はここにある。
   大部分が赤い砂岩により建造されているが、赤い砂岩の切り出し場所がわかっていない。






寺院中心部
参道を抜けるとそこには本殿がある。 こぢんまりとしているが、彫刻は圧巻である。




ラクシュミー
ヴィシュヌ神の妻で、日本では吉祥天として知られている。




魔王ラーヴァナ
10の頭、20の腕をもつインドにおける魔王の1人。
叙事詩 『ラーマーヤナ』 に登場する王である。




シヴァ
ヒンドゥー教の3最高神の一柱。破壊を司る神である。
乗り物は牛であり、この牛もまた神である。




東洋のモナリザ
左の塔の入り口の左側がそのデヴァターであるが、近くに行くことができないため、よくわからない。
別の資料で確認をお願いしたい。






   1993年に誕生した立憲君主制のカンボジアは、かつてインドシナ半島を支配した
  アンコール王朝時代からその国土を大幅に減らし、今は日本の約半分の面積に
  人口1千3百万人が暮らす農業国である。

   アジアでのボランティア活動と言えば真っ先にこの国が候補に上がるほど、貧しい国である。
  それでも残虐かつ凄惨、そしてとてつもなくおぞましい内戦の終了とともに徐々に
  落ちつきを取り戻してはいるようだ。
  シェムリアップ郊外で見た裕福そうな農家は、依然として電気・水道は ないものの水牛から
  耕運機へ、高床氏住居の基礎は木の柱からコンクリート柱へ、また、自動車バッテリーによる
  テレビ鑑賞もできるようになっている。

   シェムリアップは観光地であるので、その周辺もずいぶんと潤っているのではないかと
  思われるが、町から遠く離れた農村ではまだまだこうはいかないのかもしれない。
  それゆえ、この国からベトナムを見ると全然比べようもないほど実にうらやましい限りの国に見える。
  日本に至っては同じ人類が住んでいる地球とは思えないほどかけ離れた別世界だ。

   一体、この国の源であるクメールの人達はこれまで、生きていることに夢や希望を見出せる
  瞬間が一度でもあったのだろうか。これまでの歴史は、陸続きゆえの民族や種族間の争い、
  または領土争いに終始してきたし、近代に至っては、様々な思想の近代国家による
  侵入や介入に翻弄され続けてきた。ここと同じような状況であった国は多いが、
  おそらく他の国では創造することのできなかったこのアンコール・ワットは、
  この国の人に一体何を遺せたのだろうか。150年前発見されなければ、忘れ去られ、
  ただのジャングルに埋もれた屍となって、今も深い眠りについていただけだろうか。

   たった2日半の忙しい観光であったが、その存在感は見る者を圧倒する迫力がある。
  それにしてもいつの時代においても人間の為した業は、時間とともに押し流されて
  強者どもが夢の跡となってしまうだけのものなのかもしれない。

  以上完                  沖見 供顔 

                  
  








                     

*** アンコール・ワットが遺すもの(その1) ***



 
撮影  沖見 供顔

 


   アンコール遺跡群の中の代表建造物であるアンコール・ワットについては
  世界遺産に登録されて20年が経過しており、今更改めて紹介する必要もないが、
  まだ訪れたことのない人にとっては異次元の世界であると思われるので、私なりの
  解釈とガイドの話を紹介していこうと思う。

   従って間違っているところや説明不足も多々あると思うが、単なる個人の
  つぶやきとしてご容赦願いたい。





               
+++ アンコール・ワット +++

   アンコール・ワットは、アンコール遺跡群の中で一番先に訪れたい遺跡であるが、
  中央の参道は西向きになっており、午前中は正面から写真を撮ると逆光になるため、
  午後訪れるのが正解である。(なぜ西向きなのかは葬儀のための寺院という説がある。)
  したがって、たいていのツアーはここを後回しにして、午前中は近くにある
  アンコール・トムなどの他の遺跡に行くように組んである。
  しかし、ここではまず、年代も古いアンコール・ワットから見て行こう。





空から見たアンコール・ワット
気球で200mの上空から眺めることができる。 周囲は幅190mの堀で囲まれている。




   アンコール・ワットとは、大きなお寺という意味である。
  スーリヤヴァルマン2世(1113-45年)が30年余りをかけて築造したヒンズー教の寺院であるが、
  後に仏教寺院に改修されている。彫刻は当初のままであり、回廊の壁に描かれているのは
  ヒンズー教の物語や戦争の記録である。これを理解しようとすると多少なりともヒンズー教の
  知識が必要になるが、一般の観光客はその彫刻が意味しているものを見るだけでも、
  非常に興味をそそられることであろう。





アンコール・ワット正面
山門を入ると、お馴染みの3塔が姿を現す。 アンコール・ワットに来た実感がする。




                           逆さアンコール・ワット
    この時期は雨期に溜まった水がまだ残っており、逆さアンコール・ワットを見ることができたが、
    中央部は修復のため シートが掛けられ、見学できなかった。
    今後、修復のため、立ち入り禁止箇所が増えてくるようである。
   




   フランスによって1900年の初め修復されたが、仏教を否定する悪名高きポルポト派が内戦のとき
  徹底的に破壊を行った。今は、上智大学が中心となって修復作業を行っている。
  現存する建物は主として砂岩とラテライトとによって構成されている。木も使用されていたが、
  当然朽ち果てて今は跡形もない。ラテライトとは、赤い「日干しレンガ」のことであり、
  当然、上部の砂岩部分に彫刻が施されている。砂岩の強度は 降雨による吸水によって劣化するため、
  800年の時を経てかなり劣化が進んでいる。

   しかし、最も大きな問題は、降雨による基礎部分の軟弱化による建物の倒壊である。
  これに植物が繁殖し、さらに劣化が進んだようだ。これらの修復は、まずジャングル状態になった遺跡から、
  植物を取り除くことから始め、地盤沈下による崩落した建物を元に戻すことであるが、いつ終わるとも
  わからない修復作業が今も続けられている。 北部の遺跡には、まだ、ジャングルに埋もれたままの
  状態で放置されている遺跡がいくつもある。




                               日の出前
       6時前からたくさんの人が待ち構えていた。 多くは日本、韓国、中国系の人達だ。
       今日はせっかくの元旦なのにこれではちょっと無理か。




                              日の出
     もう帰ろうと思ったその時、一瞬赤く輝いた。冬至のころ、太陽は正面に向かって
     一番右寄りから出る。春分と秋分の日にちょうど真ん中に位置する。




                    第3回廊への階段
      2007年に韓国人ガイドが転落死亡して以来閉鎖されている。
      当時、王は乗り物に乗ってこの階段を上がったそうだ。




                     現在の階段
   300人の人数制限ながら上ることは可能である。しかし、神聖な場所のため、
   帽子、ノースリーブ、短パン等はダメという制限がある。




第3回廊
ここには、王族専用の沐浴場が4か所も作られている。




    ここを作った王は何を思って作ったのかとふと考えてしまう。
   なぜこの偉大で荘厳な建造物を作ろうと思ったか。
   それは自らの敬虔な意志でヒンズー教ヴィシュヌ神に捧げるためだったのか。
   それとも王としての威厳と自己顕示欲を具体化したものだったのか。

    人間はここまで創造することができるのかと絶句してしまうエジプトのピラミッドよりは
   スケールが小さいものの、広大な国土を治める権力者に共通するある種の強い意志が
   あふれているように思われる。

          その1完。
      沖見 供顔         




TOPへ